やさしさの罠(後編)

生き方・思考

優しさは、人を救う力だ。
けれど同じくらい、人を壊す力にもなる。

その違いは “境界線の有無” という、
たったひとつの要素だけで決まる。

前編で書いたように、
優しさ × M性(受容)が過剰になると、
優しい人ほど闇を引き寄せ、
気づけばブラックホールの中心に立ってしまう。

では、優しさが“自分を殺さずに他者を救う力”に変わるには
何が必要なのか。


■ 優しい人ほど、他人の闇を“自己消化”してしまう

優しい人は、他人から投げ込まれた黒い感情を
「自分の中で処理しよう」としてしまう。

理由は単純ではない。

  • 他人に迷惑をかけたくない
  • 弱音を吐きたくない
  • 「優しい人」でいたい
  • 良く見られたい欲
  • 純粋に役に立ちたい思い

これらが 2:1 くらいの比率で混ざっている。

どちらも人間として自然な動機だ。

だがこの自己消化は危険だ。
闇を外に吐き出せず、自分の領域で処理しようとすると、
ほぼ例外なく“自己破壊”へ向かう。

  • 自傷行為
  • 過食/拒食
  • 感情の爆発
  • 家族への攻撃
  • 自分の健康や仕事、信用の破壊

優しさが吸い込んだ闇の処理を、
自分の身体と心で行ってしまう。

本来は外へ分散すべき負荷を、
優しい人ほど、自分ひとりの世界で閉じ込めてしまうのだ。

そして崩れた自分の姿を見て、また自分を責める。

「迷惑をかけたくない」
「こんなはずじゃなかった」

こうして優しさは、
外へ向かう力ではなく、
自分を飲み込む渦へと変わっていく。


■ 優しさは「与えること」だけではなく「線を引くこと」でもある

優しさは受け入れる力だと思われがちだ。
だが本質は違う。

優しさには 2種類ある。

  • 受け入れる優しさ
  • 断る優しさ

優しい人ほど、後者を持たない。

嫌な頼みを断れず、
距離を置きたいのに笑って応じ、
感情のゴミ箱にされても耐えてしまう。

これが「優しさの罠」だ。

境界のない優しさは、
他人にも自分にも害をもたらす。

本当の優しさとは、
自分を守りながら相手と向き合うことで、
自己犠牲は美徳ではない。

むしろ
自己犠牲は、優しさを壊す行為そのもの だ。


■ “優しくしない力” は本来、教育されるべきだ

学校で教わる優しさは、
“従順” と “扱いやすさ” にすり替えられやすい。

  • 先生の負担が減る
  • 集団を乱さない
  • 管理しやすい

だから優しい子ほど
「いい子」として固定され、
境界線を持つ機会を奪われる。

しかし現実では、
優しすぎる子ほど、
便利屋にされ、
搾取され、
ターゲットにされる。

だから本来必要なのは、

  • 優しさには限界がある
  • 断る技術が必要
  • 境界線を作らないと壊れる
  • 自己犠牲は優しさではない

こうした“境界の教育”だ。

これは大人社会になればさらに顕著になる。


■ 優しさを守る方法はただ一つ、「核(中心軸)を作る」

優しさが壊れないためには
自分の核が必要だ。

自分がどう生きたいか。
どう扱われたいか。
何を守りたいか。

この軸がないと、
優しさは外からの闇に押し潰される。

境界線を作るとは、
自分の核を守ることでもある。

優しさは、
核の上にあるときだけ“力”になる。


■ 優しさを武器に変える

優しさは光だ。
しかし、輪郭のない光は闇に飲まれる。

境界線を持った優しさは、
自分を守りながら相手を照らす光になる。

  • 断れる
  • 距離を置ける
  • 他人の闇を背負いこまない
  • 自己破壊に向かわない

優しさとは、
相手を満たすためのものではなく、
自分と相手の両方を守るための力 だ。


■ 未来のために必要なこと

私は、教育や自治の側から
この“優しさの構造”を整える未来を描いている。

  • 優しさの境界線教育
  • 便利屋化される子の保護
  • 欲望・嫉妬の構造理解
  • 自己境界教育の導入
  • 優しさが搾取されない街づくり

優しい子が、
優しさのせいで壊れる社会ではなく、
優しさを“武器”にして生きられる社会へ。

それが、私が目指す一つの道だ。

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