服従と自立

生き方・思考

本当に自分の生きたい生活をしたいなら、
僕は「服従」から解放される必要があると思っています。

服従からの解放とは何か。
僕の中では、それは 経済的自立にほかなりません。

いつ、何時、どの時間帯でも。
何をしていても。
人に止められることなく、自分の生活を営める状態。

それが僕にとっての「自立」です。
そして、限りなく服従がゼロに近づいた状態を、僕は完全な自立だと捉えています。

「そんなの退屈じゃないか」と言われることがあります。
でも、退屈なら勝手にボランティアをすればいいし、
働きたいならアルバイトでも何でもすればいい。
自由な状態でも、いくらでもやり方はあります。
だから僕は、そこを議論する必要はないと思っています。

問題は別のところにあります。
服従から出ることが、いかに難しいかということです。


服従は“濃淡”がある

服従の形はたくさんあります。
そして現代社会で、服従から完全に解放されるのは正直簡単ではありません。

だから僕は、服従をゼロにするというより、
服従の色を少しずつ薄めていくものだと考えています。

服従が一番濃い場所は、僕の感覚では「会社」です。

決まった給料と社会保障のために、
決まった時間に出勤し、決まった時間まで働く。
命令は基本的に無視できず、
理不尽や残業を飲み込まざるを得ないこともある。

僕は、ここを「服従の最高濃度」だと思っています。

そこから少し薄まるのが、フリーランス的な働き方です。
服従の度合いは減りますが、それでも完全な自由ではありません。

取引先との関係もあるし、
ネット販売ならプラットフォームの規約に従う必要もある。
つまり、コントロールは残ります。
ただ、それでも会社よりは服従の濃度は薄くなると思います。

そして僕が想像する、服従が限りなく薄い状態。
それが「完全なる自立」です。

自分で顧客を持ち、
自分で仕事を設計し、
自分で価格や働き方を決め、
自分の責任で収入を作る。

服従から離れるほど責任は大きくなります。
それでも、自分らしい人生を送りたいなら、
服従から解放されていく必要がある。
僕はそう考えています。


僕は35歳で「鎖」を切り始めた

そして僕は結論として、
副業という形で、服従の鎖を35歳のときに切り始めました。

きっかけはありました。
それは他の記事にも書いています。

そして今、
「完全に切断できる計画」が見えるところまで来たと感じています。

心が踊ります。
希望が胸に溢れています。
満ちている、という感覚です。

むしろ今は、
「服従するフリ」をするほうが大変なくらいです。

まだ僕は、表面上は服従の下にいなければなりません。
バレるわけにはいかないからです。
だから服従し続けなければならない。
そのフリをし続けなければならない。

これはこれで、演じているようで面白い部分もあります。
でも、いずれその時が来る。
そう思うと胸が踊ります。


10年前に会った「自由の風が吹く笑顔」

10年ほど前、
仕事で20代のフリーランス女性と話す機会がありました。

彼女は笑顔で僕に接してくれて、
歩いて諸外国を回り、
商品を仕入れ、日本に帰ってくる。
そんな生活をしている人でした。

当時の僕には、遠い世界の話でした。
でも今なら分かります。

あの笑顔には、
どこか「自由の風」が混ざっていたのだと思います。


あなたの「服従という名のサブスク」を見直してみてください

このブログを読んだあなたも、
何かの服従の中にいるかもしれません。

強力な服従の下で、
人生をはちゃめちゃにされてしまった人もいると思います。

でも、服従から出るということは、
自分を大事にすることです。

本来の自分を世の中に見てもらって、
“生まれたままの本来の自分の能力”で生きていくための挑戦です。

だから、今一度、
あなたの中にある「服従という名のサブスクリプション」を見直してみてください。

それはあなたの人生にとって、費用対効果がいいのか。
本当にあなたが歩くべき道は、それなのか。

もし少しでも「違うな」と思ったら、
小さくて構いません。
服従を薄める挑戦をしてみてください。

その挑戦によって、心が躍る。
気持ちが晴れる。
明るい未来が見える。

もしそう感じたなら、
きっとあなたの心は、服従からの解放を願っているのだと思います。

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