私を変えた小さな涙

日記・雑記

「働くこと」と「生きること」の境界線に気づいた日

私は、この日まで仕事に人生を捧げてきた人間でした。
朝から夜まで働き詰めで、「成果こそが自分の価値だ」と信じ込み、
会社にとって“都合の良い歯車”として生きてきた――いや、
そう生きることが“正しい大人”の姿だと疑いもなく思い込んでいました。

真面目な性格も相まって、若い頃の私は社会の常識や秩序を深く信じ、
仕事は「きっちりやるべきもの」だと考えていました。
だからこそ、手を抜く同年代の若者たちを見ては
「なぜもっとちゃんとやらないんだ」
心の底から理解ができず、怒りや失望が湧き続けていました。

上司は私を信頼していました。
しかし今思えば、その“信頼”は利用と紙一重だったのだと思います。
どんな仕事でも丁寧に、断らず、完璧に仕上げる私を――
上司は便利に使っていた節があった。
それに気づけるほど、当時の私は大人ではなかった。

それでも、あの頃の自分を恥じてはいません。
秩序を重んじ、真剣に向き合っていたあの日々は、
私らしさそのものでもあったからです。
後悔と誇りが混ざり合う、少し複雑な青春でした。


■「なびいてくれない」ことさえ、受け入れていた

そんな中、入社したばかりの若い女性社員を指導することになりました。
とても綺麗な方でしたが、もちろん私に恋愛感情などあるはずもなく、
また私もそんな目で見たことはありません。
ただ、彼女は明らかに私を苦手としていました。
少し距離を置かれ、気まずい空気が流れ続ける――
それが私と彼女の関係でした。

それでも私は構わないと思っていました。
好かれなくてもいい。ただ成長してほしい。
その一心で、時に厳しい口調で指導することもありました。

そしてあの日。
彼女は泣きました。

理由はわかりませんでしたが、
胸の奥に小さな違和感が、ひっかかりのように残りました。


■「助けたのに、平然と裏切られる」という現実

ある日、私はその子を助けたことがあります。
私の上司が彼女に対し、明らかなパワハラをしていたのを止めたのです。

しかし、結果は予想外でした。

彼女は別の上司に、
「パワハラをしていたと言っていたのは○○さん(私)です」
と平然と伝えたのです。

私を守ってくれた上司でもあり、仲間でもあったその人から
私は問い詰められました。

その場は何とか収まりました。
だが、心の中には強烈なものが残りました。

「人間関係って、こんなにも薄く脆いものだったのか」


■SNSで見た“自由な人生”とのコントラスト

その数日後、彼女のSNSを見て驚きました。
夏にはハワイで遊び、夫婦二人で豊かに暮らしている。
自由で軽やかで、どこか眩しい笑顔。

一方の私はどうだったか。

毎日のように難しい案件を任され、深夜残業。
数百万の貯金すら維持できず、
気づけば「退職前に貯金160万円しか残らなかった」と嘆く上司の未来を
まっすぐになぞり始めていた。

真面目に働く人間ほど苦しみ、
軽やかに生きる人ほど豊かになっていく。

その“矛盾”に、私は初めて真正面から向き合いました。


■涙は“反省”ではなく、“目覚め”だった

彼女の涙は、別に私を責めたわけではありません。
その涙が私を変えたわけでもない。

けれどあの涙が、
「このままの人生でいいのか?」
という問いを私の中に芽生えさせたのです。

真面目に働き続けた人間が疲れ、
仕事に対する執着を手放した若者が人生を自由に楽しむ。

この“無情な矛盾”を私に見せつけたのは、
あの日の涙でした。


■初めて会社の方針に背いて買った本

その日、私は初めて会社の意向に背き、
帰り道で“副業の本”を買いました。

あの日を境に、
「働くこと」と「生きること」の境界線が、
はっきりと見えるようになったのです。

人生は、頑張る時間と味わう時間。
その両方が揃って初めて“生きている”と言えるのだと。

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